〜前略〜
2.デジタルバイオマーカー(dBM)の定義
米国食品医薬品局(FDA)と国立衛生研究所のバイオマーカーワーキンググループ(Biomarkers,
EndpointS, and other Tools, BEST)によると,バイオマーカーは「正常な生物学的過程,発病過程,又は治療的介入を含む曝露もしくは介入に対する生物学的反応の指標として計測される,明確に定義された特性」と定義される5)。このバイオマーカーには,日常診療で用いられるバイタルサインや,生化学検査,血液検査,腫瘍マーカーなどの臨床検査値や画像診断データが含まれ,診断,薬力学や反応,さらにはモニタリングに利用される5)。近年,センサーやウェアラブル機器など,デジタル技術の進歩により,日常の患者データをdBMとしてより簡便かつ継続的に取得できるようになり,様々な領域で患者の健康状態や疾患進行の定量評価が試みられている(表1)4)。将来的には,ゲノム情報等のヒト遺伝的要因や生活,環境要因データに加え,dBMで疾患特有の日常機能異常や発作を高精度で検出することで,客観的指標が無かった症状や健康状態(例えば,疼痛やかゆみ,睡眠の質低下など)に関して,医薬品の新たな価値を示すデータが取得可能になる可能性がある6)。
なお,FDAはdBMを「デジタルヘルステクノロジー(DHT)から収集され,正常な生物学的過程,発病過程,又は治療的介入を含む曝露もしくは介入に対する反応の指標として測定される特性又は特性群」
と定義している。この定義に「特性群」としているのは,多様なdBMをもとに複合解析することで,意義のある変化を捉えられる可能性があるためである(図2)。

表1 バイオマーカーの種類と,dBMの活用事例7)

図2 「特性群」としてのdBMの可能性(COVID-19罹患検出アプローチの事例から)8)
〜中略〜
4.dBMの特徴と活用事例
症状の日内・日間の変動が大きい神経・精神疾患や,夜間に症状が現れる睡眠障害などでは,日常生活のデータが重要となる。しかし,伝統的な臨床試験における検査は,規定された来院での時点評価であり,日常における症状変化を捉えることが困難であった。
dBMは,非侵襲性,リアルタイム,連続モニタリング,客観的評価,効率的なデータ収集といった利点を有し,これらの課題を解決できる可能性を秘めている。以下に,これまで報告されたdBMの活用事例を紹介する。
【身体機能(運動機能・運動量)】
歩行速度や歩幅の変化は, 日常生活機能の指標となる。これらを継続的にモニタリングしながら行動パターンを分析することで,
疾患における日常機能の変化(ベースラインからの改善や悪化)が評価可能となる。具体的には,スマートウォッチや靴のインソールなどに装着したデバイスを使用してデータを取得する。歩行パターンなどの運動機能の異常は,特に神経疾患で特徴的にみられるため,パーキンソン病,てんかん,アルツハイマー型認知症や多発性硬化症などで活用事例が報告されている10)。また,間質性肺疾患を対象とした第V相臨床試験では,アクチグラフを通じた活動量や睡眠・覚醒リズムから測定される身体活動(moderate/vigorous
physical activity:MVPA)を主要エンドポイントとして設定し,FDAとも合意して開発が進められている11)。
【特定の行動パターンに注目した評価】
アトピー性皮膚炎を対象に,利き腕の裏側にセンサーを付け,皮膚を掻く動作(掻破)を評価イベントとして検出するdBMが開発中である12)。同様に,慢性咳嗽の臨床試験では,
デジタルデバイスで測定された24時間あたりの咳嗽回数を主要評価項目として実施されている13)。さらに,技術的にはウェアラブルデバイスから得られる音声(声量とトーン),睡眠パターン(睡眠中の心拍,呼吸や動き),視覚パターン(視線の動きや注視点),体温や心拍数からストレスレベルも推測できる。これらのデータをdBMとして組み合わせて解析することで,うつ病や自閉症,不安障害などの精神疾患で,患者の自己申告に頼ることなく,状態の悪化や改善を客観的に評価可能となるだろう14)。
〜中略〜
6.dBMを臨床試験でエンドポイントとして用いるプロセス
医薬品開発においてdBMを用いようとする場合,その妥当性および信頼性の確保が課題となる。Clinical
Trials Transformation Initiative (以下,CTTI)のガイダンスによると,dBMを生成するプロセスは,(1)
デバイスのセンサーなどを通じて生データを取得,(2) そのデータを転送および処理して,解析可能な処理データへ変換,(3)処理データから解析アルゴリズムを用いて,関心のある臨床的なアウトカムを推定するといった過程を経る必要がある16)。さらに,dBMを検証試験の主要評価項目等に活用する場合,妥当性や信頼性を担保する検証(デバイスの正確性,精度および安定性や均一性を検証する),分析バリデーション(dBM
へのデータ変換,推定,評価プロセスの適切性の確認) および臨床バリデーション(dBM を対象患者層で利用することの科学的,臨床的妥当性の確認)が必要となる(表3)。
表3 dBMの妥当性・信頼性を担保するための3つのステップ4)
また,製薬協のDS部会報告を参考にすると,dBMを臨床試験のアウトカムとして活用する場合に考慮すべき点として,「dBMの使用条件や目的を事前に定義すること」,「dBMの内容的妥当性(身体機能や臨床状態を正確に反映しているか)の確認」,「既存の評価スケールとの相関性」および「dBMの信頼性確保(再現性,診断精度や臨床変化への反映度など)」が指摘されている4))。臨床試験にdBMを活用したい製薬会社と,デバイス開発のプレイヤーは異なることが多い。市販のデバイスを用いる場合,データ取得条件やアルゴリズムが公開されていないことが多く,モデルやバージョンのアップデートにより精度や正確性が異なる可能性もある。そのため,早期開発段階から規制要件を満たすために効率的に協業していく必要がある。また,現時点では日本ではdBMのバリデーションや開発に特化したPMDAの相談枠はない。そのため,従来の医薬品開発の相談枠を活用して相談することとなるが,特に臨床バリデーションには専門性とリソースに加えて相応の評価期間を要するため,開発早期からの導入評価と計画立案に加えて,PMDAとの計画の事前合意が重要となるだろう4)。なお,欧米ではdBMに関する相談枠が存在する。具体的には,一般的な助言を得る相談枠(FDA
: Critical Path Innovation Meeting, EMA : Innovation
Task Force Briefing Meeting)に加えて,規制当局によるdBMの開発応用の認証に関する相談枠(FDA
: Drug Dvelopment Tool Qualification Programs,
EMA : Qualification Advice Meeting)がある17-19)。その相談枠では,dBMが従来の方法とは異なる臨床的有用性の有無に加えて,技術的な適切性(内容的妥当性,構成概念妥当性,信頼性,変化に対する感度)およびdBMを特定疾患の臨床評価に使用する当局認証について議論することができる。
7.臨床開発にdBMを活用していくうえでの課題と展望
dBMは,今後も技術革新が進むと期待されており,医薬品開発において重要な役割を担っていくだろう。加えてAI技術の進歩によりdBMのデータ解析と予測の高度化も見込め,
試験の効率化と精度の向上が期待される。そのため,dBM活用の規制や環境整備は不可欠であり,国内ガイドラインや標準プロセスが求められるが,現段階では具体的要件は検討段階にある。先行するFDAのガイドラインを参考にすると,患者のニーズや疾患負担,治療意義などの声を反映させて患者の健康にとって意義のある重要な側面(Meaningful
Aspect of Health, MAH)を特定し,デジタル技術を用いてその指標を開発・評価することが重要とされている。前述のアトピー性皮膚炎の事例を参考にすると,これまでの夜間の掻破行動を測るビデオ撮影では,
通常環境と異なり(照明が必要,毛布は取り除く,等),患者の日常を反映しにくい。さらに,手作業での分析は大規模試験では手間や費用もかかる課題があった。そのため,dBMで患者の行動を直接測定して,疾患の状態や治療効果を正確に評価することの意義が確認され,開発が進められている12)。
一方で,dBMには技術的な課題も存在する。具体的には,データ互換性やアルゴリズムの偏りといった問題に対する解決策の検討が待たれる4)。これらデジタル技術の進展と活用事例の蓄積に加え,規制整備により,臨床試験におけるdBMの有用性がより高まるだろう。

表4 海外でMAHとそれを評価するdBMが議論された事例
8.おわりに
本稿では製薬企業の視点から,DCTの要素技術であるdBMというアプローチに注目し,その定義や活用の方向性,事例,さらに臨床開発への応用プロセスと今後の展望を整理した。DCTは新型コロナウイルスのパンデミック時に,患者が来院できない状況でも臨床試験を継続できるアプローチとして注目された。現在は患者の負担軽減や,新たな価値の「見える化」を目的とした導入が進み2,3),ウェアラブルデバイスや貼付型センサー,加速度・音響センサーなどを用いて疾患の症状や状態評価に活用されている。ただし,臨床開発におけるdBMの活用は歴史が浅く,前例も少ない。米欧の事例を参考にすると,疾患や健康にとって意義のある重要な側面(MAH)を,患者の声も聴きながら,その指標を捉えるdBMを開発することが求められる。dBMを臨床試験のエンドポイントに設定するには,dBMデータの妥当性と信頼性保証のプロセスが重要であり,早期の計画立案と規制当局との議論が不可欠である。日本では現時点でdBMのバリデーションや開発に特化したPMDAの相談枠が無いため,従来の相談枠でのdBMの導入やバリデーション計画を事前に合意して,
進めるべきである。また,dBMを医薬品開発に活用したい製薬会社とdBMの基幹技術を持つ会社は別のプレイヤーであることが多いため,連携してニーズと技術を結びつける議論も重要となる。患者,規制当局,デバイス開発会社など様々なステークホルダーで早期から議論し,協業することで,臨床試験におけるdBMの活用可能性は高まる。
最後に,dBMを含むデジタルヘルステクノロジー全般の活用で重要なことは,「技術的に取得可能だから」という理由で実施するのではなく,「患者や疾患にとって何が重要で,真に取るべきデータとは?」にフォーカスすることである。dBMなどの新技術を含め,目的や課題に基づいて“Fit
for Purpose”,すなわち取得すべきデータを適切な技術と一致させ,可能な限り患者の意見を早期に取り入れることで,意義のあるdBMを世に送り出すことができるだろう。
◆本稿の全ての内容は「月刊PHARMSTAGE」2025年7月号
本誌でご覧ください◆
月刊PHARMSTAGEのホームページはこちら
https://www.gijutu.co.jp/doc/magazine_pharm%20stage.htm
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3)製薬協 臨床評価部会.DCT におけるデータの流れとその信頼性確保(2022)
https://www.jpma.or.jp/information/evaluation/results/allotment/gbkspa00000017ol-att/DS_202208_DCT_f01.pdf
4)製薬協.臨床評価部会.医薬品開発におけるデジタルバイオマーカー(dBM)の利活用と要件(2022)
https://www.jpma.or.jp/information/evaluation/results/allotment/rfcmr0000000216e-att/digital_biomarker_202204.pdf
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Working Group. Biomarkers and surrogate endpoints
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in India). NPJ Digit Med. 2024 Oct 19 ; 7 (1)
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https://www.globenewswire.com/news-release/2022/09/27/2523327/0/en/Bellerophon-Announces-FDA-Acceptance-of-Change-to-Ongoing-Phase-3-REBUILD-Study-of-INOpulse-for-Treatment-of-Fibrotic-Interstitial-Lung-Disease.html
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Biomarkers in Medicines Development-From Discovery
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Med (Lausanne). 2022 Apr 26 : 9 : 878942
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