「月刊PHARMSTAGE」2025年2月号プレビュー

特集 「10年後を見据えた医薬品開発戦略と意思決定」

RWDを用いた市場予測とデータドリブンな意思決定への応用

(Drug Market Forecasting Using Real-World Data and Its Application to Data-Driven Decision Making)

清水 直人  中外製薬(株) ビジネスインサイト& ストラテジー部 RWD プロフェッショナル(ビジネス)

1.はじめに

 昨今,リアルワールド・データ(以下,RWD)は,製薬企業において以下のような様々な場面で用いられているが,製薬企業の内部のみで活用されている@AFにおいては,活用場面が共有される機会は少ない。
 @新たな適応症探索:新薬や既存薬の新たな適応症の分析としての利用
 A研究開発品の意思決定:資源配分の優先度,プロジェクトのGo/NoGo,導出入
 B臨床試験:医療現場での治療実態や薬剤の効果などの把握,臨床試験の対象群としての活用
 C医療経済評価:薬剤の費用対効果や医療経済的な分析としての利用
 D市販後調査:より広範かつ長期的な効果や安全性データ収集,企業主導の疾患データベースの構築
 E個別化医療:特定の患者群での薬剤の有効性や安全性分析への活用
 Fマーケティング戦略:顧客のニーズに応えるための調査・分析,プロモーションへの活用
 本稿では,「RWD を用いた市場予測とデータドリブンな意思決定への応用」と題し,上記の活用場面のうち@AF,すなわち医薬品開発のビジネス面でのポテンシャル評価において,RWD をどのように活用できるのか,具体的な事例を交えながら解説する。

2.データドリブンな意思決定とは

2.1 なぜデータドリブンな意思決定が求められるのか

 多くの製薬企業は疾患領域戦略を取っており,既発売品で培った疾患領域における知識・経験,さらには領域専門医(therapeutic area expert, TAE)とのチャネルを通じて,セカンダリ情報だけでなく,独自で様々なプライマリ情報をいち早く入手し,自社の創薬への応用や開発品の意思決定に用いることを可能にしている。ところが,先の稿で高山も述べているように,スタートアップ企業や製薬企業においては,希少疾患を含めた新たな疾患領域での新規モダリティ医薬品の開発が求められており,そのビジネス評価の重要性が高まっているが,従来の俗人的な情報収集方法だけでは限界が生じている。すなわち,従来の感覚や経験に頼らず,より実臨床におけるデータに基づいて戦略や施策を,ひいては開発の意思決定に活用できるアプローチが求められていると言えよう。

2.2 データドリブンな意思決定の利点

 このアプローチには,以下のような利点がある。
 ・感覚や経験といったバイアスの影響を受けにくい
 ・診断や治療、薬剤などの広範囲な情報を用いたデータ分析により,より具体的な戦略や施策が立案できる
 ・成果や効果の測定が容易で,戦略や施策の改善や最適化が可能(上市後のトラッキングが可能となる)
 このような利点を得るための分析に必要な適切なデータを入手できれば,前節で@Aといった研究開発の初期段階から,Fのような研究開発の後期段階や上市後まで継続的な分析も可能となるであろう。

2.3 データドリブンな意思決定を行う体制・運用

 このようにRWD をデータドリブンな意思決定に活用するには,前項で説明した使用場面,目的や利点について社内コンセンサスを取ることが最も重要である。なぜなら,RWD 利用は公的なもの(例えば米国NHANES や日本NDB など)を除くと,高額なサービスとなっていることも多く,コストに見合う価値が説明できないと入手することすらできないからである。そのため,冒頭に説明した通り,様々な活用場面があることを評価担当者は理解し,社内関係部署へ働きかけて全社での活用を視野に入れで導入することが肝要である。新たな疾患へチャレンジする,疾患領域を持たない,パイプラインが少ないといった製薬企業やスタートアップ企業においては,ハードルの高いアプローチであるが,大手製薬企業の中には,RWD を専門に扱う部署を立ち上げ,全社でのRWD 活用を支援する体制を整えていることを認識すべきであろう。
 以上,RWD を活用しデータドリブンな意思決定を行うためには,まず様々なRWD の情報を収集し,当該アセットの評価に最も適切なRWD を評価・導入する必要がある。そして,その先には高品質なデータの収集と整理,データ分析スキルやツールの習得,組織全体でのデータ活用文化の醸成など,体制や運用面も視野に対応していく必要がある。

3.売上予測におけるRWD の活用

3.1 なぜRWD が必要か

 医薬品開発の意思決定において,売上予測は事業性評価の重要な要素となる。先の稿で高山は,評価担当者はTPP をもとに,様々な情報を収集・分析し,仮説立案,市場予測を行うことを解説した。
 これらのプロセスにおいて,RWD は従来の情報収集に代わる有効な手段となりえる。なぜなら,RWD には数十万人〜数千万人の患者さんの実臨床における個々の受診,診断,治療の記録が,匿名化されたうえで長期にわたって記録されており, 任意の患者集団を抽出・分析することで,患者集団の特徴や,治療効果,副作用の傾向把握,Patient Journey の可視化などを通じ,患者集団のニーズを探り,製品開発や販売戦略の立案が可能になるためである。 さらに,希少疾患など情報が少ない疾患領域において,従来の臨床試験では対象患者数が少なく,また長期的な追跡が困難であった疾患集団に対しても,RWD を活用することで,より広範囲かつ長期的なデータを収集・分析することが可能となる。
 現在,民間企業で探索的に利用できるRWD は主にレセプトデータと電子カルテデータである。日本国内で利用できるRWD については日本薬剤疫学会がまとめている「日本における薬剤疫学に応用可能なデータベース調査結果(2024 年版)」に詳しい情報がある1,2)
 海外,特に米国においては製薬会社等,民間で利用できる商用のレセプトデータ(米国ではClaims Data という)や電子カルテデータが多くのベンダーから提供されている。
 RWD,特にレセプトデータを用いることで,以下の分析が可能となる。
 ・特定の疾患の治療を受けている患者数の把握(患者シェアなど)(スナップショット分析)
 ・時間経過に伴う患者数や治療の推移分析(時系列分析)
 ・年齢,性別,地域,社会経済的背景などの患者特性分析
 ・治療コストの分析
 先にも述べたが,RWD は高額なサービスとなっていることが多く,新たに活用を考える場合ハードルの高いアプローチである。米国ではメディケア(Medicare)データを基にした合成データセットDE-SynPUF(Data Entrepreneurs' Synthetic Public Use File)が無料で提供されている3)。これはデータ起業家や研究者がソフトウェアやアプリケーションの開発や研究のために実際のメディケア請求データを使用する前に,トレーニングや研究を行うために設計されたもので,Medicare 受給者のプライバシーを保護しながら,元のMedicare データの多くの統計的特性を保持している。高額なRWD を導入する前に,これを用いで使用実感をつかむのもよいであろう。このDE-SynPUF のようなビックデータを扱うには,Python のようなプログラミング言語を使用する必要があり,初心者が気軽に取り扱うことができなかったが,昨今,生成AI のおかげで,プログラミングに深い知識や技量がなくとも分析に必要なPython のコードを作成できるようになり,以前と比べて分析のハードルは下がっていると感じている。

3.2  RWD を用いた患者数の推計(スナップショット分析)

 レセプトデータは患者数の把握に有用なデータソースである。RWD が容易に利用可能になるまでは,患者数ベースの推計は製品の売上データと各種統計データ(一人当たりの年間の平均コストなど)を用いて,手間をかけて行っていた。このあたりの手法は高山のパートに詳しく解説されている。
 RWD 分析の一例として, 先に紹介した米国のDE-SynPUF データを用いた,人口膝関節置換術(TotalKnee Arthroplasty, 以下TKA)を受けた患者集団の分析と可視化の例を紹介する。但し,DE-SynPUF はトレーニングを目的とした合成データで,そこで得られる結果は疑似的で,正確ではないことに留意いただきたい。
 図1 に性・年齢別のTKA 患者数の分布を示した。DE-SynPUF データの元データは米国の65 歳以上の高齢者の医療保険であるMedicare のものであるが, 65 未満でも,障がいのある方や,末期腎不全など特定の疾患のある方にも加入が認められている。そのため,図1のように65 歳未満の年齢区分にもTKA 患者が抽出されている。また,DE-SynPUF を構成する20 個のデータセットはMedicare の実際のデータの5%を用いて作成されており,今回そのうちの1 つを分析に用いたことから,含まれるサンプルは0.25%(5%の1/20, Medicare 全体の1/400) 。この場合分析で得られる患者数を,おおよそ400 倍するとMedicare 全体の患者数の推計結果になる。 実際には,用いたデータベースの加入者台帳から年齢階級別の加入者数を母集団とし,人口統計データと比較することで,拡大推計(*)を行うことになる。これがレセプトデータを用いた拡大推計の手順である。

図1 TKA 患者の年齢分布

 図2 はTKA を受けた患者さんの入院期間の分布で,米国ではTKA 手術後3 日前後で退院する患者さんが多いことが分かる。例えばこのデータを元に入院日数の日米比較など,発展的にRWD の日米比較を行うことで新たなインサイトが得られることもあり,より深いインサイトを得るための市場調査を行う上でも有効である。

図2 TKA 患者の入院期間

 図3はTKA手術を受けた患者さんの入院回数の分布で,TKA 手術以外にも入院している患者さんが多いことから,患者負担も大きい患者集団であることが推察される。
 次に,TKA を受けた患者さんの併発疾患についての分析を示す。図4 はTKA を受けた患者さんに付与された診断名をカウントした一覧で,変形性関節症(Osteoarthritis, OA)や関節リウマチ(Rheumatoid arthritis, RA)が原因で手術を受けている患者さんが多いこと,OA の患者さんがRA の患者さんより多いことが分かる。

図3 TKA 患者の入院回数

 


図4 TKA患者の併発疾患( 診断名)


 ◆続きは「月刊PHARMSTAGE」2025年2月号 本誌でご覧ください◆

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https://www.gijutu.co.jp/doc/magazine_pharm%20stage.htm



参考文献

1)岡田美保子,PharmStage, Vol21,No3,36-42, 2021

2)山戸健太郎,柴崎佳幸,PharmStage, Vol22,No6,29-34, 2022

3)DE 1.0 Data Users Document:
 https://www.cms.gov/research-statistics-data-and-systems/downlo adable-public-use-files/synpufs/downloads/synpuf_dug.pdf

 

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