1.はじめに
2021 年に改正GMP 省令が施行され,日本においても交叉汚染防止措置が強化された。これにより,薬理学的および毒性学的評価に基づく科学的データをもとに設定された残留限度値を使用した洗浄バリデーションの実施が求められるようになった。その際,参考とされるPIC/S(※)関連ガイダンス文書にはHBEL(Healthbased
exposure limit, 健康への影響に基づく曝露限界)ガイドライン1)が含まれており,この文書では毒性学的評価に基づくPDE(Permitted
Daily Exposure,一日曝露許容量)の設定方法が規定されている。
したがって,日本国内においても,PDE を代表とするHBEL に基づく洗浄バリデーションの実施が,GMPにおける交叉汚染防止要件を満たすために必須である。
本稿では,PDE の算出方法およびPDE 設定レポートの作成について解説する。
※ PIC/S : Pharmaceutical Inspection ConventionPharmaceutical
Inspection Co-Operation Scheme(医薬品査察協定及び医薬品査察共同スキーム)
2.PDE 算出
PDE を算出する作業は,いくつかのステップを踏んで進められる(図1
参照)2)。まず,@ 有害性の特定において,入手可能なすべての非臨床および臨床試験データから有害性を特定する。ここでの注意点は,薬理作用も人にとって有害な変化に含まれるという点である。次に,その有害性の中から,A
重大な影響の特定を行う。臨床試験データを用いる場合は,最も低用量で認められる有害作用を選択し,非臨床試験データの場合は薬理作用やヒトへの外挿性を考慮する。
さらに,B POD(Point of Departure,毒性学的出発点)の選択を行う。多くの場合,影響が認められない最高用量であるNOAEL(No
Observed Adverse Effect Level)またはNOEL(No Observed
Effect Level)を選択するが,これらが得られない場合には,影響が認められる最小用量であるLOAEL(Lowest
Observed Adverse EffectLevel)あるいはLOEL(Lowest Observed
Effect Level)を選択する。また,動物試験とヒト臨床試験で同様の影響が認められている場合には,臨床試験データを重視する。ヒトで評価できないがん原性や生殖発生毒性などについては,非臨床試験データからPOD
を選択する。
図1:PDE設定の流れ
次に,POD の試験データに基づいて,C
調整係数の設定(F1 〜 F5,バイオアベイラビリティ補正係数等)を行う。これらの調整係数は,その薬剤およびPOD
に関するさまざまな不確実性に対応するために設定される。最後に,計算式に基づき,D PDE の算出を行う。PDE
の計算式は以下のとおりである。
POD: Point of Departure, PDE 算出のための毒性学的な出発点
F1 〜 F5: 様々な不確実性を考慮するための調整係数
F1:種間差
F2:個体差
F3:試験期間の調整
F4:影響の重大性
F5:LOAEL からNOAEL への外挿
S :定常状態の係数または蓄積性の係数
α : 曝露経路外挿のためのバイオアベイラビリティ補正係数
MF : その他の調整係数(データベースの完全性等)
2.1 有害性の特定
入手可能なすべての非臨床試験,臨床試験等の毒性情報を入手したうえで,有害性の特定を行う。その薬剤がヒトに対して持つ毒性の全体像を把握することは重要であり,基本的にはヒトに外挿可能な毒性を重視する。実験動物種に特異的な病態等の毒性情報については,PDE設定の際に利用しない。
2.2 重大な影響の特定
特定された有害性の中で,ヒトに外挿可能であり,かつ最も低用量で毒性が発現するものを重大な影響として特定する。その際,影響が可逆的かどうかの観点も重要であり,不可逆的な毒性はより重大とみなされる。特に重要な毒性には,発がん性,生殖発生毒性,神経毒性等が含まれる。
2.3 POD の選択
重大な影響の中から,NOAEL(影響が認められない最高用量)やLOAEL(影響が認められる最小用量),あるいはベンチマークドース法によるBMDL10(あるいはBMDL05)の値をPOD(Point
of Departure,毒性学的出発点)として選択し,PDE を算出する。この際,より長期間の試験のデータを優先する。同様のエンドポイントが臨床試験と非臨床試験で認められた場合は臨床試験結果を優先するが,臨床試験の試験期間が著しく短い場合は,非臨床試験データもPOD
の候補として検討する。
ベンチマークドース法について
ベンチマークドース法では,実験データに用量反応曲線を当てはめてPOD を算出する。ベンチマーク用量(BMD)は,特定の健康影響の発生率や特定の生物学的反応の変化(ベンチマーク反応,BMR)に関連する用量である。このBMR
に対する95%信頼限界の下限値がBMDL として算出される。
利用可能なデータの質が十分に高い場合には,ベンチマークドース法を用いてBMDL10(あるいはBMDL05)を計算し,これを科学的に妥当なNOAEL
として用いることができる3-5)。NOAEL やLOAEL は,動物実験で事前に設定された用量に依存する値であるため,BMDL
の方が重要な影響の用量反応性をより適切に代表している可能性がある。 BMDL をPOD として用いる場合はF5
の調整係数は不要である。
2.4 体重の補正
非臨床試験のPOD を選択した場合は,POD
を動物の体重当たりの用量(mg/kg/day 等)に補正し,ヒトの体重を50kg として再計算する1)。POD
がヒトへの1 日投与量で得られている場合は,体重補正は不要である。
2.5 調整係数の設定
様々な不確実性に対応するための調整係数を設定する。この際,それぞれの調整係数が完全に独立しているわけではない場合があるため,重複して調整係数を適用しないように注意が必要である。一般に,F1
〜 F5 の調整係数の積が5,000 〜 10,000 以上になる場合は,不確実性が非常に高く,PDE
の算出は適切ではないとされている。
(1)F1:種間差
PDE は,ヒトのデータに基づいて設定することが望ましいが,重大な影響についてヒトのデータが得られない場合や,臨床試験の実施前には,非臨床試験データをPOD
として選定する6)。その際,動物からヒトへの外挿を行うため,種差に基づく代謝や生理学的なパラメーターの違いを考慮し,適切な調整係数を設定する必要がある。
伝統的には,この種差を考慮した調整係数として,全ての動物種に対してデフォルト値10 が適用される。この10
というデフォルト値は,トキシコキネティクス(TK)に4.0,トキシコダイナミクス(TD)に2.5
に分割される7,8)。
近年のガイドライン(表1)では,種差の調整は次の式に基づくアロメトリック・スケーリングで行われる。
表1 各機関によるガイドラインにおいて推奨されている種間差の調整係数9-12)
また,種差を示す化合物固有のトキシコキネティクス(TK)及びトキシコダイナミクス(TD)データが存在する場合は,物質固有の調整係数(CSAF,
ChemicalSpecific Adjustment Factor) の算出が推奨されている8,13)。
(2)F2:個体差
個体間変動に対応する調整係数は,ヒト集団内のトキシコキネティクス(TK)およびトキシコダイナミクス(TD)の変動を考慮し,「重大な影響」を決定するために使用された試験集団と比較して,年齢
・ 性別 ・ 既往症 ・ 遺伝等の条件により影響を受けやすい敏感なサブグループを保護するために設定される係数である。
このF2 係数は,通常デフォルト値として10 が用いられ,TK とTD の調整係数は,それぞれデフォルト値として3.16
に分割される7)。これらのTK, TD の値は,化学物質固有の調整係数(CSAF)に置き換えることが可能である。
CSAF の算出において,TK については血中濃度の時間曲線下面積(AUC)または最高血漿中濃度(Cmax)を用いることができる。共有結合する毒性物質や,不可逆的な損傷を引き起こす毒性物質については,AUC
のような経時的な用量の積分指標が最も適切とされ,PDEを用いる場合の低用量域のリスク評価においてもAUCが優先されることが多い。一方,毒性や薬効においてCmax
が重要となる影響がみられる物質(たとえば,アミノグリコシド系抗生物質や,心毒性や神経毒性を伴う物質)では,Cmax
が優先される場合もある。PD については,通常は利用可能な情報が少ないため,デフォルト値である3.16
が一般的に使用される6)。
健常者集団および代表的な患者集団のデータからの導出されるCSAF は,以下の式で表される6)。
また,感受性の高いサブグループが特定され,そのデータが入手可能であれば,健常な部分集団と感受性の高い部分集団の二峰性の分布とみなし,以下の式で表すことができる6,14,15)。
(3)F3:試験期間の調整
PDE は一生涯毎日曝露しても健康に影響のない用量として設定されるため,POD に使用された試験の曝露期間に対する不確実性を調整する必要がある。通常,より長期の曝露で観察されるNOAEL
は短期の試験よりも小さくなる傾向がある。また,短期間の曝露では発現せず,長期間の曝露でのみ観察される影響がある可能性がある。
この試験期間の調整係数(F3)は,試験の種類・曝露シナリオ,非臨床試験において使用された動物種の寿命などに依存する。表2
は,各機関のガイドラインで推奨されているF3 の調整係数を示している。
表2 各機関によるガイドラインにおいて推奨されている試験期間の調整係数12,16,17)
多くの機関では,亜急性試験(通常28 日間試験)から慢性曝露への調整係数は6 〜 10,亜慢性試験(通常90
日間試験)から慢性曝露への調整係数は2 〜 3 とされている。ICH Q3C/3D においては,生殖発生毒性試験で器官形成期全体をカバーする試験期間であれば,F3調整係数は1
とされている。ヒトの事例として,ICHQ3D では,バナジウムに対して3 か月未満の曝露期間に5,コバルトに対して3
か月の曝露期間には2,銀に対して2 年以上の曝露期間には1 の調整係数が設定されている18)。
表3 PDE設定検討会が提案するF3調整係数(非臨床試験及びヒトの事例)2)
PDE 設定検討会では,これらの情報を統合したF3
係数を提案している2)。
Naumann とWeideman は,限られた質の高いデータセットに基づいて,亜慢性のNOAEL
と慢性のNOAELを比較した複数の分析から, 亜慢性NOAEL を慢性NOAEL へ変換する際の調整係数として最適な推定値を3
と提案している4)。また,薬剤のTK 及びTD を考慮して試験期間の調整を行う場合もある。
(4)S:定常状態の係数,または蓄積性の係数
PDE を単回投与または短期間の試験に基づいて設定する場合,物質固有の生物蓄積性とTK データに基づいて定常状態係数“S”を用いることができる。定常状態の体内濃度は,1
コンパートメントモデルでは消失半減期を用いて,またはマルチコンパートメントモデルでは消失曲線の終末期の半減期,あるいはその他の薬物動態データを用いて計算することができる。薬物の消失半減期(T1/2)が単回投与または短期間の試験でわかっているが,定常状態のプロフィールが不明な場合,定常状態が達成されたときの血漿中濃度と,単回投与の血漿中濃度の比として,下式を用いて薬物の蓄積の程度を推定することができる13)。
蓄積性の係数をPDE に適用する際,投与間隔はPODの投与間隔ではなく,PDE
の交叉汚染シナリオにおける曝露間隔(通常24 時間)を用いる。消失半減期が比較的長い(24
時間以上)薬物では,毎日繰り返し曝露した後に定常状態の血漿中濃度に到達する。そのため,短期間の試験から得られたPOD
を用いる場合,定常状態の影響が不明なため,S によって投与量を下げる必要がある。 一方, 維持投与量での定常状態が明らかであり,POD
の試験期間が十分長い場合は,S の調整は不要となる19)。
この蓄積性の係数(S)とF3 の調整係数は関連しており,独立ししていないため,S を使用する際には,F3との重複に注意が必要である。通常,F3
を用いることでS が考慮されることが多いが,S を適用する際にはF3 を減じて使用することが適切とされる13)。消失半減期が非常に短い薬剤の場合は,蓄積性の係数は1
以下になるため,F3 におけるTK の考慮が不要になる可能性がある。ただし,TD は別途考慮する必要があるため,薬力学的蓄積の可能性を含む影響の作用機序を考慮してF3
を設定する必要がある。
(5)F4:影響の重大性
POD に設定した影響が,重篤な毒性である場合にはF4 調整係数が適用される。例えば,遺伝毒性を伴わない発がん性,神経毒性,催奇形性や,あるいは不可逆的で重篤な影響(例:重篤な肝障害,間質性肺炎,死亡)がある場合に適用されることがある。
表4 各機関のガイドラインにおけるF4調整係数2,9,18)
ICH Q3C/3D では,遺伝毒性を伴わない発がん性に関して,その証拠の程度に応じて,5
〜 10 のF4 調整係数を設定している9,18)。
(6)F5:LOAEL からNOAEL への外挿
POD として使用した試験の結果がLOAEL またはLOEL であった場合,NOAEL(またはNOEL)への外挿が必要となる。この場合,適切な調整係数を適用してNOAEL
を推定することが求められる。この調整係数は影響の種類や重篤さ,用量反応曲線の傾きなどに基づいてケースバイケースで設定する必要がある。
たとえば,LOAEL の影響が可逆的な薬理作用に基づくものであれば,F5 を小さく設定できる可能性がある。一方,臓器の壊死など重篤な影響が認められる場合には,より大きな係数が必要となる20)。また,POD
が薬理作用に基づいた最も低い臨床作用用量である場合と,抗がん剤などの最大耐量をもとに設定される用量の場合では,F5
に設定すべき係数は大きく異なる。
各機関のガイドライン等では,3 〜 10 の係数が推奨されている。各機関・著者らの推奨する値を表に示す。
表5 各機関のガイドライン及び著者におけるF5調整係数4,9,11,12,19)
Naumann と Weideman は,いくつかの質の高いデータセットの解析に基づき,LOAEL
からNOAEL への調整に使用する係数として最良の推定値を,3(100.5)と提案している4)。
(7) α:曝露経路外挿のためのバイオアベイラビリティの補正係数
PDE を設定する際に,曝露経路が異なるPOD を使用せざるを得ない場合,経路間の外挿が必要となる。PDE
を設定する経路のバイオアベイラビリティ(BAPDE)と,POD のバイオアベイラビリティ(BAPOD)が得られている場合,経路間外挿の係数は以下の式であらわされる2,4,13)。
ICH Q3D では,注射や吸入経路のデータがない場合,経口曝露時のバイオアベイラビリティ(BA)を基に修正係数を適用し,経口投与のPDE
値から注射および吸入経路のPDE 値を算出している18)。
表6 ICH Q3DにおけるBAの修正係数18)
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