1.はじめに
新薬は,通常製造販売承認を得るまで10-15年という長い月日が必要となり,承認を得るために必要となる(審査)資料は,実は10年以上も前に取得されたデータということになる。つまり,取得後10年以上の月日を得て初めて,その資料が実施した実験や研究を再現できるものとなっているかどうかが問われ,これに資料が対応していないと承認取得に重大な影響が出ることになる。しかし,いろいろな変化が予想される10年や15年先のことまで想定して対応をとることは,我々人間になかなかできることではない。にもかかわらず医薬品開発にはそれが求められているのであり,それが本稿のテーマである“データの品質とその生データの取り方・保管”ということになる。特に,CMC
(Chemistry, Manufacturing and Control)に関わる開発時のデータ・資料に求められているのが“信頼性の基準”1)である。この“信頼性の基準”は,過去に起こった薬害をきっかけとして定められたものであるが,この基準に準拠していない資料は,承認申請時の審査資料としては採用されない。そのため,この基準の内容を十分に理解した上で,各種データを取得・作成・保管することが,医薬品開発には必須の要件となっている。本稿では著者らの経験を基にCMCデータの取得・保管のポイントについて紹介する。ちなみに“信頼性”とは,“アイテムが与えられた条件で規定の期間中,要求された機能を果たすことができる性質”(JIS),その定量的な尺度である信頼度
(Reliability)は,“アイテムが与えられた期間与えられた条件下で機能を発揮する確率”(JIS)と定義される2)。
なお,申請資料は,以下の視点から審査されることが,崎山の資料3)で紹介されている。
・ 実施された試験や提出された資料の信頼性が担保されているか?
・ 目的とする効能・効果を考慮し,適切にデザインされた臨床試験が実施され,対象集団における医薬品としての有効性が示されているか?
・ 得られた結果に臨床的意義があると判断できるか?
・ 海外試験を含めて試験全体でどのような有害事象が出ているか?
・ リスクに見合ったベネフィットが期待できるか?
・ リスクを回避できる方策があるか?
2.歴史から振り返る承認申請に係るデータの信頼性
これまでに申請データやGMP下での製造において,データの信頼性に係るいくつかの問題事例が発生している。表1に代表的な事例4)を示したが,ここではそうした事例のいくつかを紹介する。
3.医薬品開発における信頼性基準と信頼性の基準
医薬品開発において,試験データの信頼性は極めて重要であり,すでに紹介したように,データの信頼性確保の規制が設けられている。日本においては,CMCや薬理試験などを対象とした試験に対して1997年に“信頼性の基準”が制定されている。この“信頼性の基準”は日本独自の規制であり,米国等では別の形(例えば,Data
Integrity)でデータの信頼性が担保されている。そのため,米国との協議の場で“信頼性の基準”と言っても理解されない。その場合,著者らは“GLPの手順とData
Integrityを合わせたもの”と説明するようにしている。このGLP(医薬品の安全性に関する非臨床試験の実施に関する基準),そしてGCP(医薬品の臨床試験の実施に関する基準)は,ICHのガイドラインとしても通知されており,グローバルルールである。この“信頼性の基準”,GLP,GCPを合わせて,“信頼性基準”と呼ぶことが多い。なお,“信頼性基準”には,この他にGPSP(医薬品の製造販売後の調査及び試験の実施の基準)なども含まれる。
これらの規制の目的やその内容を理解することは,医薬品開発を計画通りに進めるためには必須の要件であり,ここでは,CMCに適用される“信頼性の基準”を中心に解説する。
・信頼性の基準
“信頼性の基準”は,1997年に日本で制定された日本独自の規制である。この基準は,ソリブジン事件などの薬害事件を契機に制定され,GLPの省令化と同時期に施行された。非臨床試験において,安全性試験にはGLPが適用される一方で,GLPが適用されない薬理試験やCMC関連試験には“信頼性の基準”が適用されることが定められた。この基準は,GLPが適用されない試験領域で,試験データの信頼性を担保するために設けられている。試験計画書の作成や試験結果の記録・保存,再現性の確保などがその内容に含まれており,非臨床試験におけるデータの正確性と信頼性を保証するための指針を提供している。薬機法施行規則第43条は,“信頼性の基準”の要件を以下のように定めている。
1.試験の計画・実施・報告
信頼性の基準は,試験の計画立案から実施,そして結果の報告に至る全過程において,データが正確で再現性があり,信頼できるものであることを求めている。これにより,試験の各段階で生成されるデータが適切に管理され,試験結果が正確に反映されることが保証される。
2.データの記録と保存
試験データが適切に記録され,保存されることが規定されている。信頼性の基準では,データが透明性を持ち,改ざんされることなく記録されることが求められる。これにより,申請時に提出されたデータの信頼性が確保され,その妥当性が証明される。
3.再現性の確保
信頼性の基準は,再現性の確保を重要視している。試験が再度実施された場合でも同様の結果が得られるように設計され,実施されなければならない。
4.データの透明性
試験方法や結果が明確に示され,必要に応じて第三者がそのデータを検証できるような状態でなければならない。これにより,試験データが正確であり,かつ公平に作成されたものであることが確保される。
この他に,実際に“信頼性の基準”に基づいて実験を行う場合の要件が定められており,「新医薬品等の申請資料の信頼性の基準の遵守について」5)に,次のように記載されている。
一 基準の遵守体制等の整備
医薬品(以下「新医薬品等」という。)の承認申請者は,新医薬品等の申請資料について基準により収集及び作成を行うために必要な組織及び人員を整備するとともに,基準への適合性を監査する手続きを含む申請資料の収集及び作成に係る業務の標準手順書の作成,関係職員の教育訓練等,基準を遵守するために必要な措置を講ずるよう努めること。
二 責任者の陳述及び署名
申請資料の収集及び作成に係る業務を統括する責任者は,申請資料の冒頭に次の陳述並びに署名又は記名及び捺印を行った書面を添付すること。
ア 申請資料は,いずれも基準に従って収集し,作成したものに相違ない旨の陳述
イ 責任者の署名又は記名及び捺印
三 その他(省略)
ここで作成が求めている手順書について,著者らが採用している文書管理に関する手順書の項目について,その例を示す。
文書管理に関するSOPの項目(例)
1.目的
2.適用範囲
3.責任者と役割
3.1 品質保証責任者の役割
3.2 文書管理責任者の役割
4.管理の対象となる文書及び記録
4.1 文書体系
4.2 文書の保管・管理
4.3 文書管理台帳の作成
5.文書及び記録の管理手順
5.1 作成,改訂
5.2 承認
5.3 廃止
5.4 文書番号の付番
5.5 配布
5.6 回収
5.7 保管
5.8 廃棄
別紙:様式
別添:文書及び記録の管理に関するフローチャート
こうして,多くの会社では“信頼性基準”を遵守するための基準書やSOPを制定し,こうした手順書に従って実験が行われている。次に,実際に実験を行い,データを取得するための手順について図1を基に紹介する6)。
@ 実験計画書を作成する(この作成手順は,SOP 化しておくべきである)。
A 試験計画書の内容について,関係者が照査し承認を行う。この時,開発段階では,必ずしも品質保証部門(あるいは担当者)があるわけではない。そのため承認は部門の上司あるいは第三者的な人が行うことでよい。
B 実験を行い,その内容を記録する。この記録であるが,1枚毎の用紙ではなく実験ノートのように,もしページが失われたらわかるようなものを使用する。また,データや記録を記載した日付,サインを記載する。もし,チャート等を張り付ける場合,はがれないようにすることと割り印等を行い,後から張り替えられないようにする。もし感熱紙が使われている場合,コピーを取り,それを同様の手順で張り付けることが望ましい。
C すべての実験が終了したら,記録に基づいて報告書を作成する。その時に,転記ミスがないように十分留意するとともに,できれば第三者的な立場の人に記載内容にミスがあるかどうかを確認してもらい,その上で承認を得る。この手順は,Aの手順と同じでもよい。
D 試験報告書の承認を得たのち,すべての記録を含め,しかるべき場所に保管管理する。こうした保管された試験計画書・報告書・記録等を見る場合の手順(SOP)を設け,文書の紛失を防ぐ。できれば,こうした資料リストを作成し,貸出等について確認できるようにすることがポイントになる。
ここでしばしば問題となるのが,大学に研究を委託した場合,その結果が“信頼性の基準”に適合していないため,申請資料として使用できない或いは試験をやり直す場合が発生している。例えば,この件に関係して次のような疑問が起こる7)。
疑問: 効力を裏付ける試験の信頼性確保において,薬効薬理試験を大学で実施する場合でも,申請用のデータとする場合は,企業と同じレベルでの管理が求められますか。大学側にどこまで求めるべきですか(機器類の校正,使用の記録,資料・試薬の保管の記録等,どこまでの生データが求められますか)。
回答: 申請用の試験データとする場合,企業と同じレベルの管理とありますが,申請用の試験の信頼性確保のあり方は,施設により様々で,なかには過剰な対応をしている施設もあります。試験の信頼性確保の基本は,試験から発生する生データ・記録類が保存され,試験が再構成できることにあります。この要件を満たしていれば,評価資料として申請に使用することが可能と考えます。大学で実施する試験においても,試験の記録として,操作の記録,結果の記録,管理の記録が発生しますが,操作と結果の記録は必須で,適切な管理が必要となる。管理の記録として,機器の場合,適正に作動する機器を使用したことが確認できることが必要。そのためには,試験実施時の機器の状況を確認できる記録(点検や校正・修理等)を保存しておく必要がある。機器の使用については,操作の記録の中に機器を特定できる記載があればよい。試料や試薬は,適切な品質のものを使用したことが記録(入手記録や品質記録)」から確認できることが必要。なお,保管した資料や試薬を使用した場合,適正に保管した記録が必要。
こうした問題への対応として,岡山大学では,次のような取り組みを行っていると報告されている8)。
アカデミアのみで生み出された医薬候補化合物の臨床開発段階での成功率は,産学連携に比べ有意に低い。この理由として,製品開発を目的とする企業の応用研究と,予想外の結果を基に,その現象を科学的に証明し普遍性を持たせるアカデミアの基礎研究との研究志向性の違いが挙げられている。厳しい意見の中には,アカデミアの実験データについて,再現性が低く,信頼性に欠けるとの指摘もある。岡山大学では,信頼性に係る講演会を開催しており,そこで講師が具体的に指摘した実験記録の問題点を指摘し,理解を深めている。
こうしたことから“信頼性の基準”に関する認知度の向上,そして大学の状況も改善されているのではないかと考えている。もし,心配があるようであれば,研究者を大学に派遣して対応する等の手段も必要であろう。
参考文献
1)厚生労働省,薬事法施行規則第43条,厚生労働省令第121号平成17年7月25日
2)向殿政男,信頼性と安全性,SEC journal,10 (3),8-10 (2014)
3)崎山美知代,薬剤承認の仕組みについて 〜安心で効果的な薬剤を届けるために〜,JCCG-TOP2
小児がんゲノム医療フォーラム 2023年1月21日
https://www.pmda.go.jp/files/000263354.pdf
4)大阪府健康医療部,製薬企業の責任役員の方へ 〜患者さんの安心・安全を守るために〜 令和5年3月
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/31416/00272947/sekinin_yakuin.pdf
5)厚生省,新医薬品等の申請資料の信頼性の基準の遵守について,医薬審第1058号,平成10年12月1日,
6)宮嶋勝春,開発段階に応じたバリデーション実施範囲・品質規格設定と変更管理−プロセス/分析法バリデーション−,サイエンス&テクノロジー
(株) (2023)
7)サイエンス&テクノロジー (株),実務担当者が抱える悩みへの回答!信頼性基準適用試験での実施基準【Q&A集/SOP例】(2021)
16)加来田博貴,アカデミアにおける実験記録の悩み それを解決するには, YAKUGAKU
ZASSHI 139, 887-890 (2019)
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